香港の街頭行動の現場では、何を掲げ、どう闘っているのか。8月末、民主化運動に参加したマコーレさんから報告記事が届いた。 (編集部)
自主的な共同行動と 街頭の若者を支援する住民
香港のデモは想像をはるかに超えていた。8月に現地に行った友人の「今、行くべきだ」という言葉を聞き、大きなうねりの渦中に身を置きたいという衝動が高まり、香港に飛んだ。連絡を入れた街頭行動参加者たちは、私のためにヘルメットとゴーグル、ガスマスクの3点セットを用意してくれていた。
8月24日のデモ終了後の九龍湾に駆けつけると、黒服と3点セットを身につけた数千人の若者たちが、「これからが本番」とばかりに警察署に向かっていた。現場では、ゴーグル・手袋や食料が配られ、2人乗りスクーターの後部の人がペットボトルを配布している。こうした光景の中に身を置くと、恐怖よりもお互いを気遣う空間に身を置いているという喜びと安心感が込み上げてきた。
警察署前の歩道柵は、工具をもつプロテスター(抗議者)によって手際よく解体され、周りのプロテスターは、傘で解体チームを隠す。数千人のプロテスターが、自主的に必要な役割をはたす。
解体した歩道柵は、デモ隊のバリケード用のトライアングルとして組み立て直される。それらを前線に運ぼうとしたところで、警察部隊が催涙弾を連射してきた。一斉に「下がろう!」と声と身振りで後方に伝え、ドミノ倒しにならないようにゆっくりと後退。すると、「もう下がらなくていい。前進」という伝言が前線から起こり、全体に波及させていく。後日よく観察すると、後退や前進の伝令役のチームがあるようだった。
街頭行動の現場では、街路の敷石を砕いて投石用の石を作る者、信号や監視カメラを無力化する者、建物や道路の壁に運動のスローガンを描く者など、自主的な直接行動があり、その行動を撮影されないように傘で隠すという支援も行われていた。
救護チームや警察の暴力を監視するチームは、黄色いベストを着てデモに混ざり、警察の暴力を抑えるための「守護孩子」という老人グループもいた。緊急避難用の車が数台、ライトを点灯させて待機し、補給物資運送車もひっきりなしに往来している。
街頭行動の場に統一的な指揮はない。各プロテスターは小グループを作り、SNSで状況を共有しながら行動を決めていた。デモ現場は、各グループ・個人の共同作業と連帯によって成り立つ巨大な自治空間で、高いレベルの自己組織化は感動的だった。
その後警察が街頭行動を包囲すると、投石や棒をもったフロントライナー(前線のプロテスター)との衝突も激しくなり、催涙ガスが激しく行き交い、緊迫感が高まる。「全員退避」の号令が発せられると、数千人が一斉に道路を駆け出していった。この時、「黒服」の理由がわかった。フロントライナーを黒服の群衆に紛れ込ませ、孤立させないためだったのだ。
全員がフロントラインに立てるわけではない。前線に立てないプロテスターは後衛に待機して、フロントライナーを安全に逃す役割を果たす。スイミーのように群れになって、退路を確保するグループが全体を誘導していく。
幹線道路を抜けて安全な地点まできたら、物陰に隠れながら黒服を脱ぐ。警察が制圧した地域では、黒服メンバーの無差別襲撃・逮捕が頻発しているからだ。
プロテスターの一部は、場所を移して道路封鎖を行ない、この神出鬼没な動きに香港警察は十分に対応ができていない。高速道路の料金ゲートを破壊して高速道路を無料にする抗議も、同時多発的に起きていた。
香港の街頭行動は、広場占拠だけではなく、水が流れるように警察の突入をかわし、道路を占拠し都市機能を麻痺させる柔軟な戦術を取っている。
香港のデモは、日本のマスコミが報道するような「一部の若者の過激な行動」でなく、住民に支援されている大衆行動である。私の経験でも、黒服でタクシーに乗ると、運転手は運賃を受け取らなかったり、街頭のプロテスターを匿う秘密のシェルターが住民の支援のもとあり、避難したこともあった。黒服の若者たちを支援しようとする雰囲気が、確かに香港の街に存在している。
若者の運動は変革の財産として 後世に引き継がれる
警察の対応も変化している。攻撃はエスカレートし、催涙弾も100発/30分という大量発射が日常化している。デモの後方まで発射し、ゴーグルがない時など、悶絶するほど目が痛かった。催涙弾は、皮膚がただれ、嘔吐を催す毒ガスといっていい物質だが、これを警察に投げ返したり、テニスラケットで打ち返す猛者もいる。一方「消火部隊」は、催涙弾に工事用のコーンなどをかぶせて水をかけ、手際よく無力化していた。
放水車は、プロテスターを吹き飛ばす危険なものだが、青色の特殊インクを撒き散らし、逮捕の証拠にしようとしていた。また、ビルの屋上に催涙弾部隊を配置し、上空から撃ち下ろすなど危険な方法も採られている。
それでも粘り強く週末には大規模な街頭行動が続いている要因として、香港政府が、(1)巨大デモを無視し続けているだけでなく、(2)8月31日以降、デモ申請を却下し、届出デモさえ許されないことがある。
穏健な大規模デモの際、直接行動派は、道路を占拠するなどの街頭行動を控えている。お互いのやり方を尊重し、全体として硬軟一体となった戦術によって、中国政府、香港政府に民主化を迫っているのである。これは雨傘運動と違う点である。
デモの現場では「CHINAZI」(中国とナチスを掛け合わせたもの)というスローガンをよく見た。香港の自己決定権を認めず、警察を使って弾圧する中国政府に対する敵対性を表現したものだが、中国の富裕層が高級ジュエリーやブランド品を買うために香港に大挙してラグジュアリーツーリズムを行ない、香港がジェントリフィケーション(再開発)されていることへの反発でもある。
東京以上に地価が高騰し、爆買いツーリズムや不動産投機によって香港の若者たちの未来が押しつぶされている現実が、爆発的な街頭行動の基盤になっている。
知人のプロテスターは「この運動は、香港の民主的権利を勝ち取るだけでなく、社会経済構造の変革までつなげないといけない」と真剣に語っていた。「香港の法や統治、香港の価値を守ろうという傾向がある。しかし香港は、巨大企業によって統治されており、そんな香港は擁護できない」と、保守的なスローガンを否定していた。
また、運動の中で中国へのヘイトが表現されていることへの危惧も語られるとともに、「香港に大量にいる移民労働者の運動への参加が少ないため、どのように移民とつながっていくかが課題」とも語っていた。
香港の街頭行動は、広範な若者世代の参加によって成り立っており、今後どのように推移しても、貴重な共通体験として香港社会の変革のための巨大な財産として引き継がれていくだろう。